2011.12/25 [Sun]
突然のお知らせで恐縮ですが…近況報告をかねて
久々の更新となってしまいました。すっかりご無沙汰してしまったことをお詫びします。
その間もご訪問くださった皆様、ありがとうございました&ごめんなさい。
17日の朝、自宅電話の不調をなおしてPCに向かおうとしていたところ、母が入居していた特別養護老人ホームから電話がはいり、前日ごろから急に呼吸が浅くなって、その朝(電話があった少し前)に母がなくなったとの連絡…ホームも私に連絡しようとしてくださっていたとのことですが、たまたま携帯は充電しても電源が入らない(=故障中)の状態だったため、連絡が遅れたそうです。同じ県内にいながら傍に居てあげられなかったこと…正直、かわいそうなことをしてしまった、寂しい思いをさせてゴメンナサイという気持ちは心のどこかでいまも残っています(このブログを書いていて気づいたのですが、電報でもよかったのに…)。でも、いつも壊れたことなどがない電話がその朝だけ不通(その前の晩は普通に使えていました)だったということは、きっと母が「最後の別れで悲しい思いをしなくていいよ」ってことでそうしたのかも?などと自分を慰めています。
Ayaさんはその日から3連休という日の初日の朝。一報が入ったときAyaさんもリビングに一緒にいたのですが「このタイミング?」と言いました。ホント、久々というか、何ヶ月ぶり?というくらい家にいられる3日の朝だったのです。元気だった頃はもちろん介護が必要になってからも、頭の回転が早くてユーモアにあふれた母のこと、Ayaさんとの生活も落ち着き、すっかり2人が普通になって、きっと「今なら独りじゃないから、私が逝っても寂しくないから大丈夫。それに3連休だから迷惑もかからないし」って思って、この日を選んで旅立ったように思われてなりません。私も仕事をしていた時だったらもっと大変だったと思いますし…
前にお見舞いに行ったときはAyaさんが運転してくれて、だからAyaさんのことも母は知っていて、「この子がいたら大丈夫!もう私がこれ以上頑張らなくてもやってゆけるよね」って思って逝ったのだと思います。
その後、ふとしたことからお知り合いになった「あおい式典」の黒江社長に電話して相談し、母が愛し大切に守ってきた自宅に連れて帰って自宅で見送ることにしました。母は1年ほど前に洗礼をうけてくれていたので、神父さまに電話で相談したり、親戚に連絡したり、少しお騒がせしてしまうだろう近隣にご挨拶したりして…夕方、3日間借りたレンタカー(いつも同じピンクシルバーなのに何故か、この日は黒い車!)をAyaさんが運転してくれて同じ道を通って、葬儀社との打ち合わせた時間に母を迎えに行きました。
私がお願いしたパープルのすてきなドレスをきせて頂いて、生前のままエレガントでした(エンジェルケアをしてくださったナース、最後にドレスを着せたのは初めてとのこと)。顔もとても穏やかで静かでちょっと微笑んで眠っているようでした。ホームのユニットでもお別れしていただき、家につれて帰ってきてとてもホッとしました。母が望むところに連れて帰れたと…
ホームで綺麗にしていただいていたのですが、薄化粧だったので帰ってきて、ひと落ち着きしてからAyaさんと二人で「今のうちにお化粧しよう!」ということになり、Ayaさんのお化粧道具をかりて私が取り掛かったのですが、日頃からノーメイクの私(・・;)ゆえAyaさんから「それひどくない?」とダメ出し!Ayaさん「メイクは細やかにパウダーを入れるように細かくゆっくり丁寧に少しずつするの!ったく!」「ねぇ、ひどいよね」と故人に話しかけながら、「この辺、もうちょっとキラキラ入れようかな?」な〜んて言いながら、フェイスからアイメイクまで、ほとんどAyaさんがしてくれました。「つけまつげもあるけど付ける?」と言われましたが{/目/}「やめて〜」と私が却下!当然、自分でするときと違いますから、チークも片側ずつ丁寧に…出来上がったときAyaさん的には、若干不満が残った様子(私は十分綺麗だと思ったのですが)Ayaさんは「チークがちょっと左右で違うけど、どう?これで良い?」と手鏡を母に向けて見せてくれていました。
本当に嬉しくありがたかった…親族でも遺体に触るのがいやという人がいるなかで、本当に綺麗にしてもらって(「つけまつげする?」「馬鹿やめて!」なんて2人して泣き笑い)、本当に綺麗にエレガントになった母と一晩同じ部屋で寝て、何故か幸せでした「こうして一緒の部屋に寝るのって何年ぶりだろう?」って…
母の洗礼をしてくださった神父様がいらしてくださって、翌日前夜式(≒御通夜)。お騒がせしてしまうであろう向こう三軒両隣にお知らせしただけなのですけれど、ご近所の方もお別れにいらしてくださり、さらには母の田舎から足場の悪い丘の上の我が家に3人も来てくれてリビングで思い出話に花をさかせながら仕出しとお酒で故人を偲び、翌日月曜日にミサ&告別式(納棺では母が好きだった谷村新司の昴とサライを流していただき)と火葬、Ayaさんと長年私と一緒にオフィスを運営・維持してくださってきているY先生と神父様で骨を拾いました。たまたま火葬場の都合で南部斎場で修道院にも近かったため、神父様をお送りした修道院聖堂でもお祈りしていただいて、3人でお茶までご馳走になって2人は神父様の著書(私は以前、送って頂いていました)とおミカンまで頂いて母の骨と一緒に帰宅しました。
H8年、心臓の手術をしてからのシングル介護の終わり…大変じゃなかったといえば嘘になりますし、色々と悲しい思い、嫌なこと(=社会勉強?)もありましたけれど…もう少し、いえもっと生きていてほしかった…でも、次の仕事をそろそろ考えなくてはならない時期&私もAyaさんとの生活&家事になれてきた時期で、母も「これ以上がんばらなくていいよ、もう逝っても寂しくないよね。もう頑張って生きなくても大丈夫だね」って思ったのかも?とも…
今回のことでは、シングル介護&お葬式のこと、いろんなことを考えさせられました。故人が高齢化すれば自ずと会葬者もすでになくなっていることも多く、最近は親戚との関係も昔とはちがってきていることから家族葬が増えているそうです。我が家の近くでもいつの間にかお年寄りの姿が見えなくなって(≒施設に入って?)、知らないうちになくなっていたということがいまや普通になってきています。町内会の掲示板で訃報もほとんどみません(個人情報保護法の影響?)。
たしかに家でお葬式を出すのは大変だったり気が引けたり(いつも掃除していないもので)しますが、家で送ることにしてよかったと思っています。ご近所の方もいらしてくださってお別れする時間がもてましたし…もと母がつかっていた部屋で今は私が使っている部屋を幕で被っただけですが、3段の花祭壇はすごく立派&綺麗で、ホント感激しました。悲しいけれどAyaさんと泣きながら冗談をいったり…色々とありがたいご縁に支えられて(変な言い方になりますが)心をこめて送ることができた素敵でHappyなお葬儀だったように思います。
Ayaさん、本当にありがとうね…貴方がいたから、きっと母もこれ以上無理をしすぎることなく安心して安らかに穏やかに旅立ってゆけたのだとおもう。そして私にさえ知らせず、一緒に読めるようにって、そっと棺に入れてくれた父母宛のクリスマスカード…きっと天国で喜んで2人して読んでると思う。
※追記:
この記事を書いて少ししたころ、玄関のチャイムが鳴って開けたらお隣さんでした。「よいお葬儀だったし、友人で相談したい人がいるのでできればお葬儀屋さんを教えてください」とのこと。どうやらお急ぎのご様子だったので、黒江社長の連絡先をお教えしました。最近私がよく言っていることですが、シングル女性が持つべきものは「弁護士、葬儀屋、会計士(←こちらだけは残念ながら見つかっていませんけれど、その代わり経営学の大家である池ノ上先生になにかとご相談できますし)の友」です。
Ayaさんが我が家にきてから、お友達と一緒に夕食をしたり若い人が来てくれる賑やかな我が家にもどってきている感じがしています。お隣のお嬢様2人もお別れにきてくださって、ワンコの話で盛り上がったり…あっ我が家も昔はこんなだったな…って久しぶりに思いました。これも母からのプレゼント?
まだまだ頭が回りませんが、どうやら書く事が私のグリーフワークになるようですので、これからシングル介護のコツ、Happyなお葬式にするための工夫、シングル老後についてなど、私なりの考えや工夫なども書いていこうと思います。
By Hannah
その間もご訪問くださった皆様、ありがとうございました&ごめんなさい。
17日の朝、自宅電話の不調をなおしてPCに向かおうとしていたところ、母が入居していた特別養護老人ホームから電話がはいり、前日ごろから急に呼吸が浅くなって、その朝(電話があった少し前)に母がなくなったとの連絡…ホームも私に連絡しようとしてくださっていたとのことですが、たまたま携帯は充電しても電源が入らない(=故障中)の状態だったため、連絡が遅れたそうです。同じ県内にいながら傍に居てあげられなかったこと…正直、かわいそうなことをしてしまった、寂しい思いをさせてゴメンナサイという気持ちは心のどこかでいまも残っています(このブログを書いていて気づいたのですが、電報でもよかったのに…)。でも、いつも壊れたことなどがない電話がその朝だけ不通(その前の晩は普通に使えていました)だったということは、きっと母が「最後の別れで悲しい思いをしなくていいよ」ってことでそうしたのかも?などと自分を慰めています。
Ayaさんはその日から3連休という日の初日の朝。一報が入ったときAyaさんもリビングに一緒にいたのですが「このタイミング?」と言いました。ホント、久々というか、何ヶ月ぶり?というくらい家にいられる3日の朝だったのです。元気だった頃はもちろん介護が必要になってからも、頭の回転が早くてユーモアにあふれた母のこと、Ayaさんとの生活も落ち着き、すっかり2人が普通になって、きっと「今なら独りじゃないから、私が逝っても寂しくないから大丈夫。それに3連休だから迷惑もかからないし」って思って、この日を選んで旅立ったように思われてなりません。私も仕事をしていた時だったらもっと大変だったと思いますし…
前にお見舞いに行ったときはAyaさんが運転してくれて、だからAyaさんのことも母は知っていて、「この子がいたら大丈夫!もう私がこれ以上頑張らなくてもやってゆけるよね」って思って逝ったのだと思います。
その後、ふとしたことからお知り合いになった「あおい式典」の黒江社長に電話して相談し、母が愛し大切に守ってきた自宅に連れて帰って自宅で見送ることにしました。母は1年ほど前に洗礼をうけてくれていたので、神父さまに電話で相談したり、親戚に連絡したり、少しお騒がせしてしまうだろう近隣にご挨拶したりして…夕方、3日間借りたレンタカー(いつも同じピンクシルバーなのに何故か、この日は黒い車!)をAyaさんが運転してくれて同じ道を通って、葬儀社との打ち合わせた時間に母を迎えに行きました。
私がお願いしたパープルのすてきなドレスをきせて頂いて、生前のままエレガントでした(エンジェルケアをしてくださったナース、最後にドレスを着せたのは初めてとのこと)。顔もとても穏やかで静かでちょっと微笑んで眠っているようでした。ホームのユニットでもお別れしていただき、家につれて帰ってきてとてもホッとしました。母が望むところに連れて帰れたと…
ホームで綺麗にしていただいていたのですが、薄化粧だったので帰ってきて、ひと落ち着きしてからAyaさんと二人で「今のうちにお化粧しよう!」ということになり、Ayaさんのお化粧道具をかりて私が取り掛かったのですが、日頃からノーメイクの私(・・;)ゆえAyaさんから「それひどくない?」とダメ出し!Ayaさん「メイクは細やかにパウダーを入れるように細かくゆっくり丁寧に少しずつするの!ったく!」「ねぇ、ひどいよね」と故人に話しかけながら、「この辺、もうちょっとキラキラ入れようかな?」な〜んて言いながら、フェイスからアイメイクまで、ほとんどAyaさんがしてくれました。「つけまつげもあるけど付ける?」と言われましたが{/目/}「やめて〜」と私が却下!当然、自分でするときと違いますから、チークも片側ずつ丁寧に…出来上がったときAyaさん的には、若干不満が残った様子(私は十分綺麗だと思ったのですが)Ayaさんは「チークがちょっと左右で違うけど、どう?これで良い?」と手鏡を母に向けて見せてくれていました。
本当に嬉しくありがたかった…親族でも遺体に触るのがいやという人がいるなかで、本当に綺麗にしてもらって(「つけまつげする?」「馬鹿やめて!」なんて2人して泣き笑い)、本当に綺麗にエレガントになった母と一晩同じ部屋で寝て、何故か幸せでした「こうして一緒の部屋に寝るのって何年ぶりだろう?」って…
母の洗礼をしてくださった神父様がいらしてくださって、翌日前夜式(≒御通夜)。お騒がせしてしまうであろう向こう三軒両隣にお知らせしただけなのですけれど、ご近所の方もお別れにいらしてくださり、さらには母の田舎から足場の悪い丘の上の我が家に3人も来てくれてリビングで思い出話に花をさかせながら仕出しとお酒で故人を偲び、翌日月曜日にミサ&告別式(納棺では母が好きだった谷村新司の昴とサライを流していただき)と火葬、Ayaさんと長年私と一緒にオフィスを運営・維持してくださってきているY先生と神父様で骨を拾いました。たまたま火葬場の都合で南部斎場で修道院にも近かったため、神父様をお送りした修道院聖堂でもお祈りしていただいて、3人でお茶までご馳走になって2人は神父様の著書(私は以前、送って頂いていました)とおミカンまで頂いて母の骨と一緒に帰宅しました。
H8年、心臓の手術をしてからのシングル介護の終わり…大変じゃなかったといえば嘘になりますし、色々と悲しい思い、嫌なこと(=社会勉強?)もありましたけれど…もう少し、いえもっと生きていてほしかった…でも、次の仕事をそろそろ考えなくてはならない時期&私もAyaさんとの生活&家事になれてきた時期で、母も「これ以上がんばらなくていいよ、もう逝っても寂しくないよね。もう頑張って生きなくても大丈夫だね」って思ったのかも?とも…
今回のことでは、シングル介護&お葬式のこと、いろんなことを考えさせられました。故人が高齢化すれば自ずと会葬者もすでになくなっていることも多く、最近は親戚との関係も昔とはちがってきていることから家族葬が増えているそうです。我が家の近くでもいつの間にかお年寄りの姿が見えなくなって(≒施設に入って?)、知らないうちになくなっていたということがいまや普通になってきています。町内会の掲示板で訃報もほとんどみません(個人情報保護法の影響?)。
たしかに家でお葬式を出すのは大変だったり気が引けたり(いつも掃除していないもので)しますが、家で送ることにしてよかったと思っています。ご近所の方もいらしてくださってお別れする時間がもてましたし…もと母がつかっていた部屋で今は私が使っている部屋を幕で被っただけですが、3段の花祭壇はすごく立派&綺麗で、ホント感激しました。悲しいけれどAyaさんと泣きながら冗談をいったり…色々とありがたいご縁に支えられて(変な言い方になりますが)心をこめて送ることができた素敵でHappyなお葬儀だったように思います。
Ayaさん、本当にありがとうね…貴方がいたから、きっと母もこれ以上無理をしすぎることなく安心して安らかに穏やかに旅立ってゆけたのだとおもう。そして私にさえ知らせず、一緒に読めるようにって、そっと棺に入れてくれた父母宛のクリスマスカード…きっと天国で喜んで2人して読んでると思う。
※追記:
この記事を書いて少ししたころ、玄関のチャイムが鳴って開けたらお隣さんでした。「よいお葬儀だったし、友人で相談したい人がいるのでできればお葬儀屋さんを教えてください」とのこと。どうやらお急ぎのご様子だったので、黒江社長の連絡先をお教えしました。最近私がよく言っていることですが、シングル女性が持つべきものは「弁護士、葬儀屋、会計士(←こちらだけは残念ながら見つかっていませんけれど、その代わり経営学の大家である池ノ上先生になにかとご相談できますし)の友」です。
Ayaさんが我が家にきてから、お友達と一緒に夕食をしたり若い人が来てくれる賑やかな我が家にもどってきている感じがしています。お隣のお嬢様2人もお別れにきてくださって、ワンコの話で盛り上がったり…あっ我が家も昔はこんなだったな…って久しぶりに思いました。これも母からのプレゼント?
まだまだ頭が回りませんが、どうやら書く事が私のグリーフワークになるようですので、これからシングル介護のコツ、Happyなお葬式にするための工夫、シングル老後についてなど、私なりの考えや工夫なども書いていこうと思います。
By Hannah
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