2011.02/17 [Thu]
This is a penから学ぶ (自由回答に拘る理由)
タイトルみて、誰でもそうでしょ?って思われた方
ごめんなさい!じつはこれ私の予備校時代の話なんです。恥ずかしながら…{/嬉しい/}
前の記事と一緒に書くといつもの長文が、更にもの凄い超長文になるので、こちらにアップします。
以前書いたとおり、中学・高校と英語をサボりつづけて専門学校の入試さえ落ちた私…
向かった先は、大手予備校の代々木ゼミナール本校でした。
当時(うん10年前…)、ちょうどその前年からベーシック英語というコースが始まって、私はめでたくその2期生に合格{/!/}
このコースに入るには試験があり、高校2年終了レベルの英語試験で50点以下の学生でないと転科勧告がされて入れないレベル{/!!/}の超低空飛行受験生に中高6年分の英語を1年で教えるという、スパルタコース。
教授陣はそうそうたるもので、2期生の場合、このコースの発案者の吉川勇一先生、小説家の牛島秀彦先生、沢山の英語学習書を書いていらっしゃる古藤晃先生…で能力別でABCに分けた3クラスをそれぞれ担任する形(担当講師の負担も相当だったようで、確か翌年から牛島先生は健康上の理由でこのコースを退かれた模様)。
ちなみに、ABCの分け方ですが…
Aクラス(吉川先生)=高校2年終了までのテストで、20点以下
Bクラス(牛島先生)=上記試験で21~30点?(ひょっとすると40点だったかも?)
Cクラス(古藤先生)=上記試験で~50点
だいたい、各クラス100名×3クラス=300名。
私は当然、Aクラス=つまり20点以下の最低レベル組。
でも2期生というのはラッキーな巡り合わせでその年から、各クラス別に講師がオリジナルで作ったテキストを使用し、毎回の試験もクラスごとに担当講師が作成して、添削して返して下さるという改訂が行われた直後。
週2日、コースの授業があり、確か毎回午後90分×3コマ…午後1時~6時位まで。
最初の1コマで前回やった分の復習テスト30分+前回の復習テストの返却と解説。
毎回テストを受け、前回のテスト返却と復習の解説を受け、その後の2コマで新しい所に進む形です。
(後から聞いた話ですが、この年の代ゼミの教務は、毎回ごとの添削や試験問題作成で、ほぼベーシック英語の業務でへとへとになり…翌年度からは、クラス別教科書&試験ではなくなったようです。さらに、その後、ベーシック英語は週2日×2コマに…)
学生も英語がみんなもの凄~く苦手…という運命共同体的な一体感があり、また年齢や背景も色々で、個性豊かな人が多かった感じ。同期生には、私のように専門学校すら落ちて…という人だけでなく、一度社会人を経験して、看護学校を受けるためっていう方もいらっしゃいましたし。
このコースを発案した吉川先生も「最初は、副詞と形容詞の違いを聞いてくる受験生が多いことが、このコースのきっかけだったけど、いざ始めると、もの凄く個性的な学生が集まってきて面白くて」と仰っていらっしゃいましたっけ…ちなみに1期生では北大に入った人もいるそうです。もちろんAクラスから…
で、最初の授業で「このコースは6年分を1年で学ぶというコースなので心して授業に臨んで欲しい」ということと、自己紹介&授業の進め方や先輩の進学先などを説明した後、吉川先生が黒板に書いたのが…
This is a pen.
そして、おもむろに尋ねたのが、「これを諸君はどう読む?」
さすがの超低空組でも、このくらいは読めるので、みんなで「ディス・イズ・ア・ペン」と読みます。
そうしたら、吉川先生…
「確かにそういう読み方もあるが、イギリス英語では『ディス・イズ・エイ・ペン』という読み方もある。どちらも1つのという意味である。つまり日本語では、penを見たときに、1つかどうかということは考えないで、ペンと考えるけれど、英語では言っているその物が1つか、複数かという考え方を常にするということを示しているわけだ。つまり、このThis is a pen.という諸君がみんな知っている短い文章の中にも、英語的ものの見方というか、考え方が入っている。ゆえに英語を学ぶと言うことは他の思考を理解しようとすることであり、また英語を理解するということは他の思考を理解するということなのだ」という風に話されたのでした(別にテープにとっていた訳ではないので、若干言い回しなど記憶違いがあるかもしれませんが、とにかく印象深かったのでほぼ間違いないかと)。
この授業の冒頭の1コマは未だに鮮明に覚えているくらい、私には衝撃的でした。
それまでの学校英語では、まるで方程式を解くみたいに英語って勉強しなくてはならないもの位にしか考えていませんでしたし、このコースに入ったのも、とにかく英語の試験に受からないと希望の専門学校に行けないし、専門職にもなれないし…ということで、嫌々だった訳で。
英語を学ぶこと=他の見方を理解しようと努力すること
英語を話すこと=他の思考の枠組みで自分の考えを言い表すこと
ってこのコースで学んだことのように思います。
吉川先生は翻訳もしていらっしゃったので、多分一層、その感覚が鋭かったのだと思います。
このコースで熱心に学んでいたのは、超低空組の中でも超低空飛行の12-3名(大部分男子学生で女子は私ともう1人の2名のみ)…これは、吉川先生も特別熱心に指導して下さって、いつも吉川先生が添削するわけではないと言われていたテストの大半(あとは教務の方々で添削指導)も、私の場合(偶然?)、吉川先生の添削で今も教科書とともに、ノートもテストも持っています。とても丁寧な添削で、どこが間違っているかだけではなく、その背景まで細かく書き込んで下さっていました。
前の回にやった2コマ分が、その次の回のテスト範囲ですから、とにかく「やるっきゃない!」という感じ。最初は、90分×3コマというハードスケジュールで、大講義室の堅い木の椅子に座っているのも大変だったのが、いつの間にか大変だけと楽しみな授業になっていました。すぐにやった結果が返ってくるというのも、よいシステムだったと思います。
私を含め10名ちょっとの吉川先生とりまき組はその後、授業の後に吉川先生と一緒に夕食{/ビール/}に連れて行っていただいたこともしばしば(今だったら怒られそうですが、もう時効だと思うので)…活動家で刑務所から出所して仕事につけないから、仲間でお金を出し合って開いたお店なんかにも連れて行ってくださいました。そういうとオルグされているようですが吉川先生は活動家とはいえ、決して自分の主張を押しつける感じではなく、授業の解らないところを聞いたり、議論をしたり、とにかく自分の頭で考えろ!っていう感じのリベラルなスタンス。実際に先生の考えと違うことを言っても怒られなかったですし、無理矢理修正しようともされませんでした。
そんなある日の夏の頃、かなりの被害が予測される台風が接近していて、でも授業はあるし…と出かけたら、案の定、途中で全館放送があり、「台風接近にともない現在、首都圏全線が運休したので、本日は休講とします。なお代講の予定については後日連絡しますので、帰宅して下さい」…って???帰宅しようにも帰宅の足がないんですけど{/むかっ/}…というわけで、みんないっしょに学校の対応の遅さに文句言いつつ教室に居残っていました(ちなみに、とりまき組の1人は福島県からの通学生)。
当時は、学生数も多い時代です。たちまち代々木駅は人であふれ、駅からの要請で教務はじめ学校の職員全員で学校にもどるよう再誘導!飛んできた看板?で女子学生が怪我をしたりして、再度全館放送「外に出ると危険なので、学校で待機して下さい」…というわけで居残っていた私たちの判断の方が正しかった模様。
そこで、我々が先生に主張したのは「どうせ全員ここで待機するしかないし、だったら授業を受けたいので残れる人だけでも授業して下さい!」。吉川先生はちょっと困った+嬉しそうなお顔で…学校は休校を決めてるので…というわけで、台風のなか教務まで相談に行ってくださって「今日は台風で来られなかった学生もいるし、休校と決めた以上は講義を先に進めることはできないけれど、復習をするならば良いことになった」…というわけで、学生にどの辺がわかりにくかったかを聞いて、多くあげられた箇所を中心に無料で2コマ復習の授業をしてくださったのです{/ピカピカ/}。結局、ほとんどの受講生が帰宅する様子もなく、その恩恵に与りました(まぁ実際、帰れなかった…のかも?)。そしてその後も、まだ運転が再開されなかったので、台風を避けるため?街に繰り出していつものように先生にご馳走{/ビール/}になって…最後は代々木から新宿まで歩いて帰った記憶があります。遅かったのでもう台風は通り過ぎていたのですが、まだダイヤが乱れていたので。
ちなみに、その日、出席していたのは60名ほど…そして、希望の進学先に合格できたのも60名ほど…
故に台風にもめげず、出席していた受講生はほぼ合格したのかと。
吉川先生は受験前に丁寧にノートを添削して下さったり、代ゼミは専門学校の過去問を取り寄せるなど、とても良くして頂いたお陰で、私も他の人も合格しました。たしか、とりまき組で私以外の女子学生は家政学院大学にいったと記憶しています。
結局、べ平連についても、三里塚闘争についても、話だけで終わりましたけれど、「自分の頭で考えることの大切さ」っていうことだけは、英語と一緒に学ばせていただいたように思っています。
まだ私が小さい頃、父が英語の番組を見ていて、「訳して~」と頼んだら、「英語で考えているから訳せない」って言われて、ちょっと幼心が傷ついた記憶がありますが、いまだとよくわかりますし、私自身、英語圏では英語で考えているのは前に記したとおりですが…でも、そんな背景に加えて、もうひとつ、違った考え方を理解するのが英語を学ぶこと、そして自分の頭で考えて、相手の土俵で表現するのが英語を話すこと…っていうのは、吉川先生の教えでもあったような気がしています。
随分と昔話になってしまいましたが(年がばれそう(^^;)…
そんなこともあって、私自身は自由回答に拘りたい訳なのです。
by hannah
P.S.今回の記事を書くにあたって、こわごわ吉川勇一で検索したら…ありました!
(かなり前に癌になられたって聞いていましたので…)
Wiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%8B%87%E4%B8%80
(相変わらずリンクのしかたが解らなくてごめんなさいm(_ _)m)
ごめんなさい!じつはこれ私の予備校時代の話なんです。恥ずかしながら…{/嬉しい/}
前の記事と一緒に書くといつもの長文が、更にもの凄い超長文になるので、こちらにアップします。
以前書いたとおり、中学・高校と英語をサボりつづけて専門学校の入試さえ落ちた私…
向かった先は、大手予備校の代々木ゼミナール本校でした。
当時(うん10年前…)、ちょうどその前年からベーシック英語というコースが始まって、私はめでたくその2期生に合格{/!/}
このコースに入るには試験があり、高校2年終了レベルの英語試験で50点以下の学生でないと転科勧告がされて入れないレベル{/!!/}の超低空飛行受験生に中高6年分の英語を1年で教えるという、スパルタコース。
教授陣はそうそうたるもので、2期生の場合、このコースの発案者の吉川勇一先生、小説家の牛島秀彦先生、沢山の英語学習書を書いていらっしゃる古藤晃先生…で能力別でABCに分けた3クラスをそれぞれ担任する形(担当講師の負担も相当だったようで、確か翌年から牛島先生は健康上の理由でこのコースを退かれた模様)。
ちなみに、ABCの分け方ですが…
Aクラス(吉川先生)=高校2年終了までのテストで、20点以下
Bクラス(牛島先生)=上記試験で21~30点?(ひょっとすると40点だったかも?)
Cクラス(古藤先生)=上記試験で~50点
だいたい、各クラス100名×3クラス=300名。
私は当然、Aクラス=つまり20点以下の最低レベル組。
でも2期生というのはラッキーな巡り合わせでその年から、各クラス別に講師がオリジナルで作ったテキストを使用し、毎回の試験もクラスごとに担当講師が作成して、添削して返して下さるという改訂が行われた直後。
週2日、コースの授業があり、確か毎回午後90分×3コマ…午後1時~6時位まで。
最初の1コマで前回やった分の復習テスト30分+前回の復習テストの返却と解説。
毎回テストを受け、前回のテスト返却と復習の解説を受け、その後の2コマで新しい所に進む形です。
(後から聞いた話ですが、この年の代ゼミの教務は、毎回ごとの添削や試験問題作成で、ほぼベーシック英語の業務でへとへとになり…翌年度からは、クラス別教科書&試験ではなくなったようです。さらに、その後、ベーシック英語は週2日×2コマに…)
学生も英語がみんなもの凄~く苦手…という運命共同体的な一体感があり、また年齢や背景も色々で、個性豊かな人が多かった感じ。同期生には、私のように専門学校すら落ちて…という人だけでなく、一度社会人を経験して、看護学校を受けるためっていう方もいらっしゃいましたし。
このコースを発案した吉川先生も「最初は、副詞と形容詞の違いを聞いてくる受験生が多いことが、このコースのきっかけだったけど、いざ始めると、もの凄く個性的な学生が集まってきて面白くて」と仰っていらっしゃいましたっけ…ちなみに1期生では北大に入った人もいるそうです。もちろんAクラスから…
で、最初の授業で「このコースは6年分を1年で学ぶというコースなので心して授業に臨んで欲しい」ということと、自己紹介&授業の進め方や先輩の進学先などを説明した後、吉川先生が黒板に書いたのが…
This is a pen.
そして、おもむろに尋ねたのが、「これを諸君はどう読む?」
さすがの超低空組でも、このくらいは読めるので、みんなで「ディス・イズ・ア・ペン」と読みます。
そうしたら、吉川先生…
「確かにそういう読み方もあるが、イギリス英語では『ディス・イズ・エイ・ペン』という読み方もある。どちらも1つのという意味である。つまり日本語では、penを見たときに、1つかどうかということは考えないで、ペンと考えるけれど、英語では言っているその物が1つか、複数かという考え方を常にするということを示しているわけだ。つまり、このThis is a pen.という諸君がみんな知っている短い文章の中にも、英語的ものの見方というか、考え方が入っている。ゆえに英語を学ぶと言うことは他の思考を理解しようとすることであり、また英語を理解するということは他の思考を理解するということなのだ」という風に話されたのでした(別にテープにとっていた訳ではないので、若干言い回しなど記憶違いがあるかもしれませんが、とにかく印象深かったのでほぼ間違いないかと)。
この授業の冒頭の1コマは未だに鮮明に覚えているくらい、私には衝撃的でした。
それまでの学校英語では、まるで方程式を解くみたいに英語って勉強しなくてはならないもの位にしか考えていませんでしたし、このコースに入ったのも、とにかく英語の試験に受からないと希望の専門学校に行けないし、専門職にもなれないし…ということで、嫌々だった訳で。
英語を学ぶこと=他の見方を理解しようと努力すること
英語を話すこと=他の思考の枠組みで自分の考えを言い表すこと
ってこのコースで学んだことのように思います。
吉川先生は翻訳もしていらっしゃったので、多分一層、その感覚が鋭かったのだと思います。
このコースで熱心に学んでいたのは、超低空組の中でも超低空飛行の12-3名(大部分男子学生で女子は私ともう1人の2名のみ)…これは、吉川先生も特別熱心に指導して下さって、いつも吉川先生が添削するわけではないと言われていたテストの大半(あとは教務の方々で添削指導)も、私の場合(偶然?)、吉川先生の添削で今も教科書とともに、ノートもテストも持っています。とても丁寧な添削で、どこが間違っているかだけではなく、その背景まで細かく書き込んで下さっていました。
前の回にやった2コマ分が、その次の回のテスト範囲ですから、とにかく「やるっきゃない!」という感じ。最初は、90分×3コマというハードスケジュールで、大講義室の堅い木の椅子に座っているのも大変だったのが、いつの間にか大変だけと楽しみな授業になっていました。すぐにやった結果が返ってくるというのも、よいシステムだったと思います。
私を含め10名ちょっとの吉川先生とりまき組はその後、授業の後に吉川先生と一緒に夕食{/ビール/}に連れて行っていただいたこともしばしば(今だったら怒られそうですが、もう時効だと思うので)…活動家で刑務所から出所して仕事につけないから、仲間でお金を出し合って開いたお店なんかにも連れて行ってくださいました。そういうとオルグされているようですが吉川先生は活動家とはいえ、決して自分の主張を押しつける感じではなく、授業の解らないところを聞いたり、議論をしたり、とにかく自分の頭で考えろ!っていう感じのリベラルなスタンス。実際に先生の考えと違うことを言っても怒られなかったですし、無理矢理修正しようともされませんでした。
そんなある日の夏の頃、かなりの被害が予測される台風が接近していて、でも授業はあるし…と出かけたら、案の定、途中で全館放送があり、「台風接近にともない現在、首都圏全線が運休したので、本日は休講とします。なお代講の予定については後日連絡しますので、帰宅して下さい」…って???帰宅しようにも帰宅の足がないんですけど{/むかっ/}…というわけで、みんないっしょに学校の対応の遅さに文句言いつつ教室に居残っていました(ちなみに、とりまき組の1人は福島県からの通学生)。
当時は、学生数も多い時代です。たちまち代々木駅は人であふれ、駅からの要請で教務はじめ学校の職員全員で学校にもどるよう再誘導!飛んできた看板?で女子学生が怪我をしたりして、再度全館放送「外に出ると危険なので、学校で待機して下さい」…というわけで居残っていた私たちの判断の方が正しかった模様。
そこで、我々が先生に主張したのは「どうせ全員ここで待機するしかないし、だったら授業を受けたいので残れる人だけでも授業して下さい!」。吉川先生はちょっと困った+嬉しそうなお顔で…学校は休校を決めてるので…というわけで、台風のなか教務まで相談に行ってくださって「今日は台風で来られなかった学生もいるし、休校と決めた以上は講義を先に進めることはできないけれど、復習をするならば良いことになった」…というわけで、学生にどの辺がわかりにくかったかを聞いて、多くあげられた箇所を中心に無料で2コマ復習の授業をしてくださったのです{/ピカピカ/}。結局、ほとんどの受講生が帰宅する様子もなく、その恩恵に与りました(まぁ実際、帰れなかった…のかも?)。そしてその後も、まだ運転が再開されなかったので、台風を避けるため?街に繰り出していつものように先生にご馳走{/ビール/}になって…最後は代々木から新宿まで歩いて帰った記憶があります。遅かったのでもう台風は通り過ぎていたのですが、まだダイヤが乱れていたので。
ちなみに、その日、出席していたのは60名ほど…そして、希望の進学先に合格できたのも60名ほど…
故に台風にもめげず、出席していた受講生はほぼ合格したのかと。
吉川先生は受験前に丁寧にノートを添削して下さったり、代ゼミは専門学校の過去問を取り寄せるなど、とても良くして頂いたお陰で、私も他の人も合格しました。たしか、とりまき組で私以外の女子学生は家政学院大学にいったと記憶しています。
結局、べ平連についても、三里塚闘争についても、話だけで終わりましたけれど、「自分の頭で考えることの大切さ」っていうことだけは、英語と一緒に学ばせていただいたように思っています。
まだ私が小さい頃、父が英語の番組を見ていて、「訳して~」と頼んだら、「英語で考えているから訳せない」って言われて、ちょっと幼心が傷ついた記憶がありますが、いまだとよくわかりますし、私自身、英語圏では英語で考えているのは前に記したとおりですが…でも、そんな背景に加えて、もうひとつ、違った考え方を理解するのが英語を学ぶこと、そして自分の頭で考えて、相手の土俵で表現するのが英語を話すこと…っていうのは、吉川先生の教えでもあったような気がしています。
随分と昔話になってしまいましたが(年がばれそう(^^;)…
そんなこともあって、私自身は自由回答に拘りたい訳なのです。
by hannah
P.S.今回の記事を書くにあたって、こわごわ吉川勇一で検索したら…ありました!
(かなり前に癌になられたって聞いていましたので…)
Wiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%8B%87%E4%B8%80
(相変わらずリンクのしかたが解らなくてごめんなさいm(_ _)m)
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